岛村谦次,群馬県立太田中学を38年に中退、大日本雄弁会講談社少年部に入社。『婦人クラブ』の編集に従事するうち映画の魅力にとりつかれる。あまりの熱狂ぶりを見かねた編集長が新興キネマ撮影所長・六車脩に紹介、40年7月、新興キネマ俳優養成所に入所がかない、41年4月に内務省登録試験にも合格、新興専属俳優となり、42年には戦時統合により大映所属となり、小崎政房監督「思出の記」(42)でデビュー。44年4月、現役兵で満州に出征、45年10月ソ連軍の捕虜となりカザフ共和国カラガンダ収容所で重労働5年、50年10月帰国。大映に復帰したが54年12月、日活の専属俳優となり、アクション全盛時代からロマン・ポルノへ、軽妙な脇役としてほとんど出づっぱりで活躍、その好色そうな中年男ぶりに磨きをかけ、「色情姉妹」(72)(曽根中生監督)その他では主役級の貫禄を示し、73年には成人映画育成会の特別男優助演賞を受賞。77年以後も「情痴の檻」「二人だけの夜」(77)、「●肉体調教師」(78)と出演作は多く、“ナメ謙”の異名をとるほど熱心な演技で日活男優陣をリードしている。