大正十一年林フミ子は県立尾道高等女学校の最上級生であった。フミ子の母ミノと義父の茂介が行商で歩く貧しい生活であったが、フミ子は明るい文学の好きな少女であった。おかずのたしにと、小川でしじみを取るフミ子に、網元の次男坊佐々木二郎は、好意をもって魚を贈ったりする、楽しい学生生活であった。この頃フミ子は国語の教師森に、作文の批評を仰いでいた。フミ子の明るさはクラスの人気者で、今日も大山のぶ江からつけ文の相談をされた。作戦を練ったフミ子は、指定の西光寺境内で絵筆をふるう青年にくってかかったが、実はのぶえの美貌を見込んだ梅林かつ江が絵葉書用の写真を撮ろうとしたのであった。一方フミ子の家庭は茂介が遠く行商に出たまま、借金はかさみ、フミ子も月謝や修学旅行費を催足されていた。だが陽気なフミ子が生活に疲れたミノを救っていた。ある日突然帰って来た茂介は、博打で金を使い果していた。仕方なく借金のため大杉質店に行ったフミ子は、境内で会った青年大杉光平に会って、恥しさに逃げ帰った。光平は帝大の学生で病気療養のため帰郷していたのだ。フミ子は修学旅行費の捻出のため帆布工場の臨時工になり、予定通り費用を作ったが、茂介から金の無心をされ、ミノの胸中を察すると、茂介に自分のお金をさし出した。修学旅行を断念したフミ子に、突然、二郎がプロポーズした。学業に専念したいと断ったフミ子を、光平のためだと誤解した二郎は、光平と西光寺の境内で対決したが、光平から「あの人が拒絶したのは、文学修行に励みたいからだ」と聞かされ、肩を落した。その頃、フミ子は、光平に魅かれながらも、境遇の相違からあきらめ、東京に行く決意を固めていた。
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