青雲の志に燃える無頼の青年・玉井金五郎は、恋女房のマンと一人息子の勝則を連れて、若松の港のゴンゾの親方・永田杢次のもとに身を寄せた。二人は真黒になって働いた。そんなある日、幼い勝則が筏で流された。それを救ったのは、支那大陸の流れ者、銀五だった。駈けつけて来たマンを見て銀五は身ぶるいした。感謝の気持を表わすマンに死んだお袋のおもかげを見たのである。それからの生涯、銀五はマンを心ひそかにあこがれつづけていった。翌年の春。急に勢力を増した友田組が、永田たち連合組の荷役奪回を策し始めた。連合組の総師大庭春吉は受けて立つことを宣言。金五郎も、友田組を向こうに回して敵対の意を表した。ある日、金五郎は大庭に、永田組の後釜として「玉井組」の看板をあげるよう懇願されるが、永田の手前もあり辞退した。その夜、大庭に連れられて賭場に行った金五郎は、顔見知りの蝶々牡丹のお京と逢った。お京は、唐獅子の五郎と二人でイカサマをして稼いでいたのである。久しぶりに逢った金五郎とお京は、痛飲し共に同じ部屋に泊った。翌朝、お京が寝ずに描いた二頭の龍の彫り絵が金五郎の肌に舞っていた。金五郎はお京の自分によせる心情にうたれ、刺青を承諾した。そして六日間。金五郎の肌には彼の依頼で、二頭の龍の肢が菊の花を掴んでいる見事な刺青が彫り上げられた。宝玉を菊にかえたのは金五郎のマンに対する愛情だった。その夜、お京と金五郎は結ばれた……。帰って来た金五郎の腕に彫られてある刺青を見たマンは「ゴンゾの親分が刺青を」と嫉妬をまじえて金五郎をののしり、勝則を連れて家を飛び出した。しかし、小倉駅で、盲腸で困っている唐獅子の五郎の息子十郎を救ったマンは、やはり夫の許に戻ろうと思うのだった。やがて金五郎は「玉井組」の看板をかかげた。その夏の終り頃、金五郎は友田組の角助に刺された。止どめを刺そうとする角助を止めたのは友田組に草鞋をぬいでいた銀五だった。銀五は血みどろの金五郎をかついで、マンの許に運んできた。マンの必死の看病が続き金五郎は九死に一生を得るのだった。十数年後--早稲田大学を卒業して、文学の道を志そうとしている勝則と、勝則を自分の仕事の後へと継がせようとする金五郎は、事あるたびに対立していた。そんな気持を勝則は、娼婦・光子への純愛に向けていた。が、光子の楼主は友田の息のかかっている男で、光子はマニラに売り飛ばされてしまった。今では石炭荷役請負業の組長として初老の心境となっている金五郎は争いを好まなかった。しかし、光子を失った勝則は、逆に自分のやり方で港の仕事を始めようと決心した。丁度その頃、十数年ぶりに銀五が若松に帰って来た。運命の糸は再び、二人を敵対に向って織りなそうとしていた。港を牛耳る三菱が、炭積機を港に設置する計画を発表した。金五郎はゴンゾの失業を恐れて設置に反対し、三菱にかけ合うために上京した。そして、東京で金五郎は、お京にうり二つの女スリ・お葉に逢った。このお葉こそ、かつての金五郎とお京との一夜の契りでできた娘だったのだ。そして、お葉は金五郎を母の仇として狙っていたのである。一方、勝則はストライキに突入した。友田組はあらゆる手段を駆使してスト破りを計った。やがて、玉井組と友田組との抗争にまで進展してしまった。金五郎たちは、大庭等の加勢もあり、友田組に殴り込みをかけた。その中には親娘と認めあったお葉の姿もある。血みどろの乱戦が始まった。やがて、銀五は傷つき死んでいった。敵と味方に別れながらもマンを慕いつづけた銀五だった。突然、一人の男が、玉井組に加勢し始めた。かつてマンに救けられた五郎の息子・十郎だった……。金五郎親子は勝った。親と子の深い信頼と情愛は見事に結実した。戦い終え、始めて我に帰った勝則は、やはり自分は文学を志ざすべきだと思うのだった。もう一度、光子に逢いたかった。そして、勝則はマニラに光子を捜しに出かけた。「俺の若い時そっくりだ」金五郎の感慨であった。夕陽の沈むマニラ。すでに光子は死んでいた。勝則の新たな決意がそこにあった。
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