1985年8月12日、群馬県の地方新聞社・北関東新聞社の遊軍記者・悠木和雅(40歳)は、いつものように翌日の朝刊作りに追われていた。この日、悠木は19:36分発の電車で谷川岳に向かう予定だった。目的は難所中の難所で、過去780人もの死者を出している衝立岩(ついたていわ)へのアタック。パートナーは販売局員の安西耿一郎。安西は趣味の山登りが高じて社内に「登ろう会」という登山サークルを作り、悠木は半ば強引に誘われてその一員となっていた。 県警記者クラブに詰める佐山達哉から連絡が入ってきた。「ジャンボが消えた」という会話を小耳にはさんだというのだ。深く気にも留めず、悠木が出かけようとしたその時、テレビが第一報を伝えた。羽田発大阪行き日航123便が消息を絶ったというのだ。すぐに通信社のニュース速報が続いた。「日航機は墜落した模様、乗客乗員は524人」。事実とす...
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