昭和28年、NHKでは日本で初めてのテレビジョン放送を始めるにあたり専属俳優の募集をしていた。トットこと柴柳徹子は音楽学校の卒業を自前にして、人形劇のできるお母さんになりたいと単純な動機でNHKを受験する。試験は4次まで、筆記、パントマイム、歌など難関が続いたがトットは失敗続き。だが、テレビジョンは白紙の分野だから、全く何も知らない子を1人くらい採って一緒に始めてみようということで、彼女は合格となった。3ヵ月の1次養成期間が始まった。仲間には西里涼子、黒沢圭一郎、中村かおる、横井美保、今泉光二たちがいた。初めてのテレビスタジオ見学では、カメラのケーブルを踏んだら、ブラウン管に映っている人の顔がつぶれて映ってしまうと本気で心配したり、テープレコーダーで初めて自分の声を聞いて、別人のような声に驚いてしまうトットたち。毎日が驚きの連続だった1次養成期間は終わり、1年間の第2次養成期間に入った。ここでも、トットはディレクター永井の演出どおりに出来ず、役をおろされたりとめげる毎日だった。だが、黒沢もセリフをとちったりと仲間たちも失敗を続けていた。ある時、徹子と黒沢はカラーテレビの実験モデルとしてNHK技術研究所へ出かけた。これを機に黒沢はテレビを離れて映画俳優の道へと進む。トットたちの養成所時代は終わり、社会人としての道が始まった。先輩女優、中野瑛子にいびられたりしながらもトットは少しずつ成長していく。そんな頃、初の連続ドラマの主役3人娘をオーディションすることになった。トットは涼子と共に選ばれる。そして、永井や瑛子からも激励を受けるのだった。数日後、涼子が結婚するため役をおりた。替りに選ばれたのはかおるである。涼子と今泉の結婚式でトットは司会を担当した。その席でテレビジョンを罵倒した日本鉄鋼連盟の会長、土橋と一悶着し中座した彼女はホテルを出て日比谷通りを歩く。その時、観声が響き渡った。近づくと街頭テレビに大勢の人が集まっている。いろいろな想いが彼女のなかを駆けめぐり、気がつくとひとりだけになっていた。トットは照れたように笑うと歩きはじめた。
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