昭和初期。ある城下町の“椿屋敷”と呼ばれる家に若菜という美しい娘がいた。若菜はある日、高校生島村雄作が家の庭に乱れ咲く椿をもらいに来たことから彼と知りあった。“椿屋敷”はもともと雄作の家だったが、鰊漁で成金になった若菜の父銀蔵が買い取ったのである。その日以来、若菜と雄作の間に、愛情が急速に深まっていったが、銀蔵は若菜を家柄の良い高須賀家に嫁がせる心づもりで、その準備を進めていたから、若菜が雄作と親しくしているのを知って激しく叱責した。若菜の兄で作家の巳代治はそんな妹を不憫に思い、雄作との恋を遂げさせるべく駆落ちを勧めた。すでに銀蔵は高須賀家との結納を取り交していたこともあり、巳代治の勧め通り、東京へ出ようとした雄作は若菜の待つ場所へ急いだが、巳代治が左翼作家として逮捕され、その巻き添えで捕まってしまった。家に連れ戻された若菜は、心すすまぬままに、高須賀信之に嫁いで行った。一年後、若菜の若奥様ぶりが板についてきたように、端目には見えたが、彼女の胸から雄作の面影が消えたことはなかった。雄作が子供の頃から大事にしていたオルゴール時計を取り出してみては心の支えにしていたのである。そのことが知れて夫や姑に冷たくされた若菜はつらい日々を送らねばならなかった。そんな時銀蔵が亡くなり、“椿屋敷”も焼けてしまった。こうしたことで心労の重った若菜は目を悪くし、盲目に近い身になってしまったが、彼女はますますいづらくなった高須賀家を飛び出し、小さい頃から世話になったトヨと二人で屋敷の焼け跡に暮しはじめた。そうしたおりに、建築家志望の学生としてドイツ留学の決った雄作が姿を現わした。雄作は若菜との再会を喜んだが、彼女の目が悪いことを知ると、ドイツ留学を棒に振って一緒に東京に出て若菜の目を治そうと決心した。一度は、雄作の出世の妨げになるからと断った若菜も、雄作の自分を想う言葉に承諾し、喜びに浸った。しかし、二人の運命はあくまで皮肉だった。雄作が荷物をまとめて若菜の許に急ぐ途中、かねてからの持病の心臓発作で彼は倒れてしまったのである。雄作の死後、一人の盲目の女がその墓標を抱くようにして死んでいった。誰が刻んだのか、海を見下ろす崖の上の自然石に、「若菜・雄作」の字がいまでも残っている。
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