映画は身体(内蔵)であり、ビデオは脳である。 映画はマテリアル(フィルム)だが、ビデオは情報だ。 映画は表現だが、ビデオは伝達だ。 三十年前、私は火災に遭った。 もちろん、火災の中心部にあったなら焼失してしまっただろうが、火災の周縁部に置かれていた膨大な8ミリフィルムが微妙な熱処理を受けた。 その熱は、フィルムの感光材の緑、青、赤の層をある周期を以て、微妙に剥離させ、見事なアブストラクトアートを展開してくれた。 (中略) 剥離と言っても一様に剥離される訳でなく、網目模様が入り、様々な色が織り込まれ、抽象画が展開されるのだ。それも一コマ一コマ異なったアラベスクだ。 (中略) そして、その熱の強度が弱い所では、喪失した映像、つまり本来そこに写っていた映像が見えることもある。喪失した映像とは、三十年前、ヨーロッパとアフリカを一年近く放浪したときの映像だった。ベルリンの壁も、パンクのロンドンも、ヒッピーに人気のあったマラケッシュも、剥離映像の合間に垣間見られて、いつか作品として成立するという予感とともに保存しておいた。私は封印しそれが使える時を待つことにした。そして、機は熟した。それがこの三面マルチのライブ映画「マテリアル&メモリーズ」だ。(以下略)
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