山陰地方では、園田家と云えば、山園田と云われるほど名の通った、広大な森林と山を持つ大地主だった。その一人息子・順吉は山番の娘・小雪を愛していた。京都の大学の休暇で帰省したとき、そのことで父惣兵衛と激しく口論した。父は町の実業家の令嬢・美保子との結婚を強いるのだ。順吉には山園田のすべての富よりも小雪一人の方がかけがえなかった。彼には味方がいた。小学校教員の大谷や銀行員のマサなど彼のやっている読書会の連中である。彼が京都に帰ると、惣兵衛の命で、小雪は因果をふくめられ、他国の親戚にあずけられた。順吉が小雪にあいに帰って来、そのことを知った。彼は家出した。宍道湖のほとりの経師屋の二階が、彼らの愛の巣になった。順吉は肥くみ作業員、材木運びなどをして働いたのだ。が、二人は幸せだった。しかし、外の世界では戦争が進み順吉にも召集令状が来た。彼は勘当の身のまま戦地へ向った。壮行会の日、小雪が唄った山の木挽唄を、どこにいても毎日、さめた時間に二人で唄おうと約束した。よいとまけ、トロッコ押しなどの仕事のあいま、小雪をわずかに慰めたのは、その唄をうたうことだった。大谷も召集されて行った。順吉からの便りが絶えた。小雪が臨時看護婦をしている病院に、美保子が入院してきた。小雪は親身に尽した。惣兵衛は読書会のグループの一人・木挽の吉原を義理にからめて芝居を打たせ、「順吉さんから手紙が来、無事に帰ったときは、おやじのいう通りにすると書いてあった」と小雪に告げさせた。小雪は号泣した。--戦争は終り、小雪は病に倒れた。結核。小雪はあいかわらず約束した時間に木挽唄をうたった。大谷が復員してき、マサと結婚した。小雪は彼らに自分の作った赤ん坊用の衣類を贈った。惣兵衛が急死し、小雪はやっと自分の両親・正造とサトの見舞を受けることができた。彼らは今まで雇主に遠慮して娘に会うことまではばかっていたのだ。二、三日して小雪の容態が急変した。「ああ、あの人の足音が聞える……ああ、山へ帰りたや……」小雪がこうつぶやいて死んだ日、順吉が復員してきた。彼は慟哭した。葬る前にせめて山へ帰って結婚式をしてやりたい。--園田家へ花嫁が花婿に抱かれて着いた。村人たちは嫁入り唄で迎えた。式が終ると、順吉はそっと小雪の体を抱いたまま、木挽唄をうたった。小雪がどこからか、それに和してうたうようだった。
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